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小説『姫椿』 浅田次郎 [小説]

8編の短編が収められた浅田次郎さんの作品です。

飼い猫が死んでしまったOL(『シエ(獣偏に解という字』)、経営に行き詰まり、死に場所を探す社長(表題作『姫椿』)、三十年前に分かれた恋人への断ち難い思いを心に秘めた男(『オリンポスの聖女)』、妻に先立たれ、思い出の競馬場に通う大学助教授(『永遠の緑』)―
凍てついた心を抱えながら日々を暮らす人々に、冬の陽だまりにも似た微かなぬくもりが舞い降りる。

どの作品も、懸命に生きる人々に向けられる浅田さんの優しい眼差しが感じられます。
孤独や苦悩を抱える人、不器用に懸命に生きる人、そんな人達が体験した少しのファンタジックな出来事。それは「不幸の分だけ、ちゃんと幸せになれるよ。ほんとだよ。」という帯の一文を実感させてくれます。

様々な人生を辿る8人の主人公が体験した物語。中にはぞっとするような、生きる事の過酷さや変えられない運命の存在を感じさせるものもありますが、切なくも心温まり、生きる希望を持たせてくれる物語でした。
特に『シエ』と『永遠の緑』が私のお気に入りです。
『シエ』、9年連れ添った飼い猫の葬儀を済ませた鈴子は、小さなペットショップで中国の伝説の生物といわれる「シエ」と出会い、連れて帰る事になります。鈴子の心を感じたシエの独白、そしてどんなに孤独だと思っていても、見守ってくれている存在がある事、その温かさに胸を打たれました。
『永遠の緑』、不器用な大学助教授・牧野は年頃の娘・真由美と2人暮らし。大学院生だった妻・みどりに先立たれ、妻との思い出の競馬場に通っていたある日の週末、最近常連になり仲間内から「解体屋」と呼ばれる若者と言葉を交わします。生真面目な牧野とは正反対の彼は不思議と牧野の心を開かせ、みどりとの想い出を語り酒を酌み交わします。正体を無くすほど酔った2人は牧野の家に向かうのですが……。
朴訥でまっすぐな「解体屋」君の心、父を想う真由美の苦悩、不器用ながらもみどりを愛し続ける牧野、そして思わぬ結末と、牧野が真由美に言った「ママを、愛しているんです。」という言葉にジーンとして涙が溢れました。

静かに淡々と綴られる8編の物語、温かい読後感に包まれます。
ささやかな幸せや、人のぬくもり、生きる希望を感じさせてくれる物語です。




姫椿 (文春文庫)

姫椿 (文春文庫)

  • 作者: 浅田 次郎
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2003/09
  • メディア: 文庫



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小説『地下鉄(メトロ)に乗って』 浅田次郎 [小説]

1995年に吉川英治文学新人賞を受賞した作品です。

永田町の地下鉄駅の階段を上がると、そこは三十年前の風景。ワンマンな父に反発し自殺した兄が現れた。
更に満州に出征する父を目撃し、また戦後闇市で精力的に商いに励む父に出会う。
だが封印された"過去"に行ったため……。

主人公・真次は何日かかけて過去へタイムトリップし、父・小沼佐吉の過去を目の当たりにします。
最初のタイムトリップは兄が自殺した日でした。彼の自殺を止めようと、真次は家を飛び出した兄を探し出して声をかけ、親戚だと偽って兄を家へ連れ帰る事に成功します。しかし、現在に戻ってきても兄はあの時死んでしまったまま。何故変えたはずの過去は変わらなかったのか?
謎を残したまま真次はタイムトリップを繰り返します。
現在の小沼佐吉は家族を犠牲にする事も厭わない、横柄で横暴で暴力的な人物として描かれていますが、少年時代の佐吉は蓮っ葉でしたたかではありながらも、面倒見のいい好青年として描かれています。戦争中や戦後の混沌とした時代を生き抜く佐吉の逞しく明るい姿に、現代人が失っている生きるエネルギーを感じました。
そして、真次の同僚のみち子もこのタイムトリップに巻き込まれ、共に少年時代の佐吉に遭遇します。家庭がありながらみち子と交際する真次。彼女がタイムトリップに巻き込まれたのはただそれだけの事なのかと思いましたが、終盤で思いも寄らぬ事実が明らかになります。淡々と真次との関係を続けていたみち子の隠されていた深く激しい想いと、彼女が真次の幸せを願って選んだ結末に圧倒されました。
終盤で明らかになる"封印された過去"。タイムトリップは何のために起きたのか? 何故兄は死んでしまったままなのか? みち子までが巻き込まれたのは何故なのか? 細かく張られていた伏線が収束し明らかになった事実と、そこに込められたそれぞれの想いに胸を打たれました。崩壊していたようで、本当は愛し合っていた家族。それでも死んでしまった兄。その時の佐吉の荒れようは序盤の回想シーンでは心無い言動に見えましたが、終盤の同じ場面では佐吉の悲痛な想いが伝わってきて涙が滲みます。そしてその後、過去の世界でみち子が取った行動。読んだ瞬間は「何故そんな事を」と辛い気分になりましたが、もう一度読み返してみるとみち子は真次の運命を変えたかったのだろうと感じました。
真次は父との確執を乗り越え、みち子の想いを受け取り、物語としてはハッピーエンドとなっていますが、読後感は温かいけれど切ないものが残ります。

父と子、家族の繋がり、愛する人の幸せ、色んなことを考えさせられる物語でした。


地下鉄に乗って (講談社文庫)

地下鉄に乗って (講談社文庫)

  • 作者: 浅田 次郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1999/12/01
  • メディア: 文庫




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小説『フィッシュストーリー』 伊坂幸太郎 [小説]

昨年映画化もされた伊坂幸太郎さんの短編集です。
表題作を含む4編の作品が収められています。

最後のレコーディングに挑んだ、売れないロックバンド。
「いい曲なんだよ、届けよ、誰かに」
テープに録音された言葉は、未来に届いて世界を救う。
時空をまたいでリンクした出来事が、胸のすくエンディングへと一閃に向かう―

生きた時代も境遇も全く違う、何の関連もない人達の人生の一瞬が絡み合い、結末で奇跡を起こす。伊坂さんらしいハッピーエンドの物語でした。
現在から三十数年前―売れなかったバンドの最後のレコーディング、失敗の許されない一発録りに挑んだメンバー。そこでボーカルの五郎は録音中であるにも関わらず、間奏に入ると「これ、いい曲なのに、誰にも届かないのかよ、嘘だろ。」と思わず心情を吐露します。
やりたい事を、やれる限りの事を、精一杯やった、けれど結果が出せずにレコード会社から契約を切られ、世間の記憶に残る事もなく消えていってしまう。夢が潰える切なさにジーンとなりました。
さすがにその声を残したままレコードを発売するわけにはいかないと、五郎の呟きとその間の演奏を消し、約1分間の無音の中に彼らの想いを込めて発売されたレコードですが、やはり売れる事無く彼らは消えて行きました。
それから十数年後、些細な事から仲間内の話題に登った彼らのレコードを聞いたある男性の行動から細い繋がりが生まれ、現在の事件に繋がってある人物を救い、そこから十数年後の未来の世界はそのお陰で大混乱から救われる。「風が吹けば桶屋が儲かる」といった具合のささやか過ぎる繋がりではありますが、彼らの歌は消える事無く未来に届いて大きな奇跡を起こす、些細な繋がりから生まれる壮大な物語の動きに感嘆しました。

タイトル『フィッシュストーリー』とは「ほら話」という意味だそうで、ささやか過ぎる偶然の積み重なりが起こした奇跡は、その起こりを遡るとそんな事が起きるとは到底考えられない状況だったわけで、強い想いは何かしらの影響を与える力を持っているのかも知れないと思います。それが本人達の願いとは違う所に向かったのだとしても、世の中に無駄なもの、無くてもいいものなんて一つもないんだと、「努力は無駄になんかならない」という強く前向きな力を感じました。

表題作以外の3作の内、2作に伊坂作品の人気者・黒沢が登場します。
特に書き下ろし作品の『ポテチ』での彼の役割がいいです。黒沢の性格等を知っておいた方が楽しめるので、この作品を読む前に『ラッシュライフ』だけでも読んでおく事をお勧めします。
黒沢を慕う空き巣の青年・今村と同棲中の気の強い彼女・大西。大らかな今村の母。個性的で魅力的な登場人物と、取り違えた違う味のポテチ、双子の兄弟と幼なじみの女の子の人気高校野球マンガ(作中でもタイトルは出てこないので敢えて挙げませんが、あの有名作品です)に込められた謎、真相を知った後の黒沢の戸惑い、そして悩める今村の心を救う結末にジーンとなりました。

テンポ良く読める物語に、魅力的なキャラクター、凝らされた仕掛け、短めの物語でも伊坂作品の味を楽しめる作品です。


フィッシュストーリー (新潮文庫)

フィッシュストーリー (新潮文庫)

  • 作者: 伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2009/11/28
  • メディア: 文庫



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小説『東京公園』 小路幸也 [小説]

『東京バンドワゴン』シリーズで人気の小路幸也さんの作品です。

写真家をめざす大学生の圭司は、公園で偶然に出会った男性から、奇妙な依頼を受ける――「妻の百合香を尾行して写真を撮ってほしい」。砧公園、世田谷公園、和田堀公園、井の頭公園……幼い娘を連れて、都内の公園をめぐる百合香を、カメラ越しに見つめる圭司は、いつしか彼女に惹かれていくが。

とても切なくて温かくて、優しい気持ちになれる作品でした。
母の遺品である古いフィルムカメラで、公園で寛ぐ家族の姿を撮る事を趣味にしている圭司。東京で暮らす血の繋がっていない姉・咲実や故郷の北海道で暮らす父と義理の母、東京で出会った友人で同居人のヒロ、東京で再会した同級生の女の子・富永、バイト先のバーのマスター、大学の同級生の真山……圭司を取り巻く人達が皆温かくて純粋で、それぞれに日常の中で悩みや不安や孤独を抱えていて、大きな事件は起きないのに「彼らの行く末はどうなるんだろう」と、最後まで物語に惹き付けられました。
そして圭司に奇妙な依頼をしてきた男性・初島は些細な事から百合香に疑いを抱き、その事に罪悪感を感じています。仕事が忙しく家族に構ってあげられない上に、2人は家柄の違いから結婚に猛反対された経緯があり、初島の家とは和解したものの、「百合香は自分の居場所へ帰ってしまうんじゃないか?」そんな不安を初島は抱いてしまいます。その想いを10歳も年下の圭司に語る場面に、一途で不器用な彼の愛情が痛いくらいに伝わってきて、不安げな彼の言葉に涙が滲みました。そして初島のそんな想いを、会って間もないのに引き出してしまう圭司の誠実で真面目な人柄にも惹かれます。
晴れた日には必ず娘のかりんを連れて、都内の公園に向かう百合香。ファンダー越しに彼女を見つめながら、
少し離れてついていき写真を撮る圭司。百合香に惹かれ戸惑いながらも写真を撮り続ける圭司は、ある日「彼女は写真を撮っている自分の存在に気付いているのではないか?」と感じ始めます。ファインダー越しに圭司に微笑みかけたり、2歳のかりんがカメラを構える圭司に向かって「知っている人」という反応を見せた時に圭司は気づかれている事を確信し、「それなら何故黙って撮られているのだろう?」と考えます。
そしていつしか言葉は交わさないまま圭司と百合香の距離が少しだけ縮まっていく様は、古く静かな映画のようで素敵なシーンでした。
初島には「気分転換だ」と告げ、「今日はどこどこの公園に行く」とメールを送ってから出かける百合香。圭司に写真を撮られている事とそれが夫の依頼である事に恐らく気づいているであろう百合香の想いがわかった時、その切なく深い想いに胸を打たれ涙が溢れました。

まだ、僕たちは途中にいる。
それは常に歩いていないと、どこかへ向かっていかないと使えない表現だ。
「誰かを探した方が幸せなんだろうな(中略)そこには幸せの匂いがあるって本能なんだよきっと。」
「私が大好きないい人同士が愛し合って結ばれて幸せになってくれるのなら、人生においてこれほどの喜びはない。」
「みんなが幸せになれる方向へ(中略)生きてくってさ、暮らしていくってさ、そういうことでしょ?」
「自分のために生きることと、誰かのために生きることは別に相反することじゃない。」
(本文より抜粋)
一途で純粋で温かい数々の言葉に心和み涙し、優しい読後感に包まれました。

人を愛する事、それは男女の恋愛に限らず家族や友人、人生において深く関わりを持った大事な人達。
そんな愛する人の為に生きる事、愛する人の幸せを望む事は、時に切なく辛い事もあるけれど、人が人を想う気持ちは、笑顔や幸せを呼び込む力のある素敵なものなんだと感じました。


東京公園 (新潮文庫)

東京公園 (新潮文庫)

  • 作者: 小路 幸也
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2009/07/28
  • メディア: 文庫



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小説『さまよう刃』 東野圭吾 [小説]

昨年、寺尾聡さん主演で映画化もされた作品です。

長峰の一人娘・絵摩の死体が荒川から発見された。花火大会の帰りに、未成年の少年グループによって蹂躙された末の遺棄だった。謎の密告電話によって犯人を知った長峰は、突き動かされるように娘の復讐に乗り出した。
犯人の一人を殺害し、さらに逃走する父親を、警察とマスコミが追う。
正義とは何か。誰が犯人を裁くのか。
世論を巻き込み、事件は予想外の結末を迎える――

何とも重く苦しく悲しい物語でした。
主人公・長峰の心情に引きずり込まれるように読んでいました。
加害者の少年・伴崎と菅野の醜悪な人間性に憤りと不快感を感じます。長峰が目にした、蹂躙シーンを撮影した映像はその残虐さに吐き気がするほどでした。私には子どもはいませんが、長峰と同じ立場になったらやはり復讐したいと願うでしょう。
そんな醜悪な人間を更生の名の下に守ろうとする矛盾に満ちた「少年法」の存在。そして被害者達を食いものにするマスコミの姿勢、加害者である息子を盲目的に庇う親、憤りとやるせない重苦しい気分になりました。

復讐の虚しさを長峰は1人目の伴崎を衝動的に殺害した時に充分に実感しています。それでも、やらずにはいられない、長峰の深い絶望と憎悪に同調してしまい、「復讐を遂げて欲しい」という思いもあり、それでも「これ以上苦しんでほしくない」という思いもあり、何が正しいのか?どうすれば救われるのか?という答えは読了後も出ないままです。長峰と菅野を追う刑事達や、長峰に同情して彼を匿い行動を助けながらも、長峰自身の為に自首を勧めた女性・丹沢和佳子、密告電話をした人物も「何が正しいのか」「正義とは、法律とは何か」と苦悩しながらも、自分なりの答えを見つけるべく行動していて、それぞれの揺れ動く想いにも心を揺さぶられました。
クライマックスで、猟銃の照準器に菅野を捉えた長峰の独白と、憎悪に捕らわれ無音になった長峰の世界に響いた和佳子の叫びに涙が滲みました。

「自分たちが正義の刃と信じているものは、本当に正しい方向を向いているのだろうか」
「向いていたとしても、その刃は本物だろうが。本当に「悪」を断ち切る力を持っているのだろうか。」
クライマックス直前の、捜査にあたった刑事の独白が印象に残りました。
タイトル『さまよう刃』は苦しみながら復讐を遂げようとする長峰だけでなく、自分達の立場や現実の前に苦悩する刑事達の事も指しているのでしょう。
そしてさまよう刃の行き着いた先は―何とも救いの無い結末のように感じますが、こうするより仕方なかったのだとも思います。 

読後感は良いとは言えません。
が、重いテーマに考えさせられる作品です。


さまよう刃 (角川文庫)

さまよう刃 (角川文庫)

  • 作者: 東野 圭吾
  • 出版社/メーカー: 角川グループパブリッシング
  • 発売日: 2008/05/24
  • メディア: 文庫



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小説『ぼくのメジャースプーン』 辻村深月 [小説]

2004年に第31回メフィスト賞を受賞してデビューした辻村深月さんの作品です。

ぼくらを襲った事件はテレビのニュースよりももっとずっとどうしようもなくひどかった――。
ある日、学校で起きた陰惨な事件。ぼくの幼なじみ、ふみちゃんはショックのあまり心を閉ざし、言葉を失った。
彼女のため、犯人に対してぼくだけにできることがある。
チャンスは本当に一度だけ。これはぼくの闘いだ。

主人公は小学校4年生の男の子(名前は出てきません)で、物語の序盤は幼なじみのふみちゃんとぼくの心の交流を中心に描かれています。
周りの子ども達よりも大人な考え方や価値観を持っているふみちゃんは、頭も良くて自分に厳しく他人に優しい女の子です。誰にでも優しく頭のいいふみちゃんを、いいように利用するクラスメイトにも決して腹を立てたりせず笑っている、そんなふみちゃんの大人びた優しさに主人公(以下「ぼく」)はもどかしさを感じながらも、憧れ尊敬しています。実は孤独な努力家であるふみちゃんの内面を知ったぼくも読み手も、ますますふみちゃんに惹きつけられていきます。
学校で起きた陰惨な事件―ふみちゃんが大好きで熱心に世話をしていたうさぎ小屋のうさぎ達が、心無い男によって惨殺され、ふみちゃんはそれを最初に発見してしまいます。その時のふみちゃんの錯乱ぶりと、その後の変わり果ててしまった姿に胸が痛くてたまりませんでした。
この事件の犯人、市川雄太は悪意と保身と自己顕示欲の権化のどうしようもない最低で邪悪な人間で、器物損壊の罪しか問われないこいつ(しかも執行猶予付き)に、ぼくでなくとも「こいつに相応しい罰は何か」と考えてしまいます。
そして「ぼくにだけできること」、それは特殊な声を発して相手を意のままに操ること。小説の中ではよく見かける力ですが、この作品ではそこにもう一ひねり加えてあります。「○○しろ、さもないと××になるぞ」と脅しをかけて命令を実行させるという、命令や条件をクリア出来なかった場合の罰を用意してより強く相手を縛るもので、相手にとって何が脅威となるのか、より高度で扱いの難しい強力な力となっています。
この力を担任教師に使って、「子ども達に謝りたい」と言ってきている犯人とその弁護士(当然、医大生だった犯人の体面を繕うためだけなのですが)に自身が会う機会を作ったぼくは、一週間後のその日のために母親の親戚で同じ能力を持つ大学教授・秋山先生の下へ通い教えを受けます。力の性質についてに始まり、「復讐」という行為の意味。反省する意志など微塵も無い犯人にとって何が効果的な罰となるか。心を閉ざしてしまったふみちゃんは、そして自分は何を望むのか。その日までの7日間のぼくの苦悩と闘いはとても苦しくて、そして明確な正解の無いこの問題に対し、7日後に出した答えに込められたとてつもない覚悟に、ぼくの純粋さやナイーブさ、ふみちゃんへの想い、抱え込んだ傷の大きさを感じて涙が溢れました。
ぼくの出した答えとその心情に対し、秋山先生の憤りとぼくにかけた言葉にもさらに涙が止まりませんでした。
「人間は身勝手で、絶対に、誰か他人のために泣いたりできないんだって本当ですか?」
自分自身がそうだと言って泣きじゃくるぼくにかけた秋山先生の言葉に涙腺崩壊です。秋山先生自身も、この力を巡って辛い体験をしている事がちらりと語られていて、そんな先生の静かで激しい言葉に胸を打たれました。

大人にとっても答えの出せない難しい問題ですが、真摯な少年の視点から描かれる罪と罰の問題、そして誰かのためにひたむきになれる気持ち、エピローグで垣間見えた希望、心震わせてくれる作品です。


ぼくのメジャースプーン (講談社文庫)

ぼくのメジャースプーン (講談社文庫)

  • 作者: 辻村 深月
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2009/04/15
  • メディア: 文庫



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小説『屋根裏の散歩者』 江戸川乱歩 [小説]

1925年に発表された江戸川乱歩の短編作品です。

世の中の全てに興味を失ってしまった男が見つけた、最後の楽しみ。それは、屋根裏を歩き回り、人間が決して他人に見せることのない醜態をのぞき見ることだった。このみだらな快楽の虜となった男は遂に、完全犯罪を目論むが――
(表題作『屋根裏の散歩者』)

語り手が読み手に向かって物語る形で綴られていて、読みやすいです。
しかし、読みやすい文体とは裏腹に物語はとてもダークで怪奇な世界を作り出しています。
屋根裏から覗き見る人々の生々しい姿。誰にも見られないはずの世界を垣間見る悪趣味な行動に取り付かれていくこの男・郷田の欲求がどんどんエスカレートしていく様は不気味で、それがかえって読み手を惹きつけていきます。
郷田が犯した犯罪。天井裏から毒を垂らして人を殺すという現実味の薄いトリックではありますが、そんな事を気にさせない力がありました。
犠牲者に選んだ男を生理的に嫌っていたというのもありますが、郷田の殺人の最大の動機は「犯罪への魅力」。元々歪んだ価値観を持っていた郷田ですが、友人を介して出会った探偵・明智小五郎の犯罪譚を聞き、その歪んだ性質に拍車をかけていきます。
殺人が成功した後、罪の意識を感じながらも事件が自殺として処理されようとしている事を知り、得意げになっている辺り郷田の歪みっぷりが窺えます。
郷田の罪を暴いたのは、彼を犯罪者へと間接的に導いてしまった明智なのですが、郷田の歪んだ性質を知った明智は、彼を犯罪心理の研究対象として興味を抱いていたような節があると語られていました。明知は自分がこれまでに出会った犯罪の話を聞かせる事で、郷田も罪に走ると予測していたのではないかと深読みしてしまいます。郷田が殺人を犯した3日後、疎遠になっていた彼の元へふらりと現れ「この下宿で毒を飲んで死んだ人があるっていうじゃないか」と話し出した明智にも、少々不気味なものを感じました。郷田の案内で現場を見た明智は自殺にしては不審な点を発見し、郷田のある変化から彼の罪を暴きます。確証を得る為に芝居を打ち、郷田を追い詰めた明智はこう言いました。
「僕は決して君の事を警察へ訴えたりはしないよ。(中略)君も知っている通り、僕の興味はただ『真実を知る』という点にあるので、それ以上のことは、実はどうでもいいのだ。」
その後茫然自失としている郷田に自首を勧めるような言葉を口にしていますが、彼が自首しようとしまいと明智にとってはどうでもいいことなのではないかと感じました。
明智小五郎は警察も信頼を置く名探偵、という設定ですが、犯罪者の側に回ったら誰よりも恐ろしい犯罪者になるのではないかと思います。

人間って暇を持て余すとろくな事を考えないものなんだと感じました。
暗く幻想的な乱歩の独特の世界観を堪能できる作品です。


江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者 (光文社文庫)

江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者 (光文社文庫)

  • 作者: 江戸川 乱歩
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2004/07/14
  • メディア: 文庫



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小説『ハゴロモ』 よしもとばなな [小説]

よしもとばななさんが描く癒しの物語です。
刊行は2006年6月(文庫版)

失恋の痛みと、都会の疲れを癒すべく、ふるさとに舞い戻ったほたる。大きな川の流れるその町で、これまでに失ったもの、忘れていた大切な何かを、彼女は取り戻せるだろうか……。
赤いダウンジャケットの青年との出会い。冷えた手をあたためた小さな手袋。人と人との不思議な縁にみちびかれ、次第によみがえる記憶―ほっこりと、ふわりと言葉にくるまれる魔法のような物語。

8年続いた不倫の恋。彼と過ごす為だけにあった時間が突然一方的に終わりを迎え、ぼろぼろになり立ち上がれなくなってしまったほたる。彼との時間を作るためだけに生き、待つだけの受け身の日々は不自然なものなのだと、彼女はどこかで気づいていたのかもしれないと思いました。
帰郷したほたるは、祖母が経営する喫茶店で働きながら暮らしていきます。大きな川が流れる町で、祖母を始めちょっと変わった温かい人達と触れ合いながら、少しずつ自分を取り戻していくほたるの姿に、自分も癒されるような感覚に浸れます。
そして、町の中で出会った赤いダウンジャケットを着た見ず知らずの青年・みつるに懐かしさを覚えたほたる。父の事故死によって、心の病を抱えてしまった母と暮らすみつるは、とても穏やかで大らかな心の持ち主です。趣味だと言って無許可のラーメン店を営むみつると話すようになって、「みつるの母の為に何かできないか?」と、自分から行動する気力を、本来あるべき生き方を取り戻したほたるの明るい表情が見えるようです。
また、ほたるがみつるの所でラーメンを食べるシーンが印象的で、とても温かい優しさに満ちています。同じくばななさんの作品『キッチン』でもそうですが、「大切な誰かと一緒に食事をする」という事を、ばななさんが重要視しているのが伝わってきます。

ほたるを取り巻くちょっと変わった人達、そしてほたるが幼い頃、高熱に浮された時のおぼろげで不思議な記憶が現在の出会いと繋がって、ますます故郷での人との繋がりを強く温かいものにしていく様にじーんと心を揺さぶられます。
登場人物達の言葉一つ一つがほっこりと優しく温かく、どこか懐かしい気持ちになれました。
タイトル『ハゴロモ』は 天人が着て自由に空を飛ぶ事ができる、薄く軽い衣の事。傷付き疲れて震えている人に、天人がそっと羽衣をかけてくれるような、静かな優しさが溢れている物語です。


ハゴロモ (新潮文庫)

ハゴロモ (新潮文庫)

  • 作者: よしもと ばなな
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2006/06
  • メディア: 文庫



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小説『シー・ラブズ・ユー 東京バンドワゴン』 小路幸也 [小説]

四世代同居の家族の心温まるホームドラマ小説第二弾です。
前作の感想記事はこちら

東京下町の老舗古本屋「東京バンドワゴン」を営む堀田家は、今となっては珍しい四世代8人で暮らす大家族。
60歳の伝説ロッカー・我南人を筆頭に一癖も二癖もある個性的な面々は、ご近所さんと共に不思議な事件に巡り会う。
120万の大金と一緒に古本屋に併設されたカフェに置き去りにされた赤ん坊、自分で売りに持ち込んだ古本を1冊ずつ買い戻す老紳士、幽霊を見るという少年とふいに勘一の手に渡った勘一の少年時代の写真、そして我南人の妻・秋実の七回忌にも騒動が巻き起こる―

前作からさらに家族が増え、ますます賑やかになっていく堀田家。そして前作に勝るとも劣らない不思議な事件が舞い込んできます。親しくしている人や知り合ったばかりの人でも、困っている姿や心に何かを抱え込む姿を放って置けない堀田家の人々の熱く優しい想いに心が和みます。そして、物語の語り手でもあり幽霊となって堀田家を見守る勘一の妻・サチの語りがまた愛情に溢れていて、優しい読後感に包まれます。
今作の騒動から関係を作り直していく家族の姿、前作から交流のある人達と今作で出会った人達が新しい絆を作り上げていく姿に、人との関わりっていいものだと思わせてくれます。
そして、少年時代の写真からある縁の深い人物と思いも寄らぬ再会を果たした勘一の、怒りと喜びと愛情の入り混じった叫びに涙が溢れました。勘一の少年時代というと終戦直後。その大変な時代にある事情で離れ離れになってから60年余り、それでも心は繋がっていたのだと感じて胸を打たれました。

我南人が口癖のように言う「LOVEだねぇ」という言葉が、この物語に溢れる温かさの象徴だと思います。
家族、友人、隣人、様々な人との関わりの中で、表に出すのは照れ臭いけど決して無くしちゃいけないもの、人が人を想う気持ちから生まれる温かさと幸せに満ちた物語です。

今作で更に新しい家族が増え、子どもたちも成長していきます。
続編も刊行中で、文庫化が待ち遠しいです。


シー・ラブズ・ユー―東京バンドワゴン (集英社文庫)

シー・ラブズ・ユー―東京バンドワゴン (集英社文庫)

  • 作者: 小路 幸也
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2009/04/17
  • メディア: 文庫



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小説 シャーロック・ホームズシリーズ『四つの署名』 アーサー・コナン・ドイル [小説]

言わずと知れた名探偵シャーロック・ホームズシリーズの長編作品です。
ホームズシリーズでは2作目にあたる作品になります。

退屈をもてあましていたホームズの下へ、面会を求めてきた若い夫人、メアリー・モースタン。
モースタン嬢の父は10年前にインドの連隊から帰国し、彼女に電報を打った後消息を絶ってしまった。それから数年後、彼女に宛てて毎年決まった日に高価な真珠が無記名で送られてくるようになったと言う。そしてこの日の朝、彼女の元へ一通の手紙が届いた。手紙の主は、モースタン嬢に対する償いと、彼女が本来手にするべき財産を渡したいので指定の場所へ来て欲しいという。不安を感じた彼女は知人の伝でホームズを訪ね、ホームズ、ワトソンと共に指定の場所へ向かう事になった。
だが、ホームズ達が手紙の主の所へ辿り着いた直後、財産の持ち主は惨殺され不可解な四つの署名が残されていた―

不思議で不気味な雰囲気を纏うこの事件、凄惨な殺害現場を意気揚々と観察して回るホームズ。そして彼がワトソンに話して聞かせる解説が臨場感たっぷりです。残された状況証拠からホームズは推測できる結論をいくつか導き出し、更にそこからより現実的な事実へと推論を進めていきます。ホームズの推理はどんな些細な事実も見逃さない観察眼と、一見何の手掛かりにもならないようなものから結論を導ける深い知識、先入観によらない推論などからなっていて、神がかりな推理力と捜査力に見えますが実際にはホームズ自身の努力、あるいは貪欲なまでの知識欲からきているもののようです。
退屈を嫌うホームズですから、(何せ「退屈で沈滞した気持ちを高揚させるため」と、コカインを打つシーンからこの物語は始まります)それくらいの知識を得る事に対して何の苦労も感じない、むしろそれが喜びなのだろうと思います。
見当違いの捜査を展開するスコットランドヤードの面々を尻目に、ホームズの推理と捜査は確実に犯人に近付いて行きます。
犯人を追う追走劇がスピーディで、ロンドンの地名や通りの位置関係などはわからないですが、それでも19世紀のロンドンの町を駆けるホームズ達の姿がありありと浮かんできます。知識を披露したりヤードの面々を皮肉ったり、事件を追っているホームズの生き生きとした姿が魅力的です。
そしてこの事件を通じて結ばれたモースタン嬢とワトソンのロマンスが、この不気味な事件に明るい彩を添えています。ワトソンが不可解な事件を追いながら、美しいメアリー・モースタンに惹かれ興奮する姿が微笑ましいです。

誕生から100年以上経っても愛され続けるホームズとワトソン。2人の対照的な性格や考え方、だからこそ生まれる信頼と友情。ホームズの推理もさる事ながら、2人のやり取りもまた魅力的な物語です。


四つの署名     新潮文庫

四つの署名 新潮文庫

  • 作者: コナン・ドイル
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1953/12
  • メディア: 文庫



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