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演劇集団キャラメルボックスダブルチャレンジ『きみがいた時間 ぼくのいく時間』&『フォー・ゲット・ミー・ノット』 [観劇]

先日、演劇集団キャラメルボックスの公演『きみがいた時間 ぼくのいく時間』『フォー・ゲット・ミー・ノット』を観てきました。
この公演は14名の役者さんで違う物語を2本上演する「ダブルチャレンジ」と銘打たれた公演です。通称「クロノスシリーズ」という同じシリーズの物語とはいえ、あらすじもテイストも全く異なる2つの物語を続けて上演するという、とても過酷なものです。結成31年目を迎えるキャラメルボックスの並々ならぬ気概を感じます。

『きみがいた時間 ぼくのいく時間』
2008年1月、住島重工の研究員・秋沢里志は、海外派遣留学を終えて、5年ぶりのニューヨークから帰国する。空港で待っていたのは、5年前に別れたはずの恋人・紘未だった。自分の帰りを待ち続けていた紘未に、里志は激しく心を動かされる。
一方、里志は住島重工の子会社P・フレックで、新しい機械の開発に携わることになる。それは、物質を39年前の過去に送り出す機械クロノス・スパイラルだった。
最初の実験の日。里志のもとに電話がかかってくる。
紘未がトラックに撥ねられ、病院に運ばれた……。
(公式サイトより)

こちらは2008年に上川隆也さん主演で上演された作品の再演になります。私は初見でした。
クロノス・スパイラルは物質を過去に送り出すのみの機械、行ったきり現在に戻ってくる事はできない不完全なタイムマシンです。39年前というと里志はまだ生まれてすらいません。存在しないはずの人物として39年後の事故の日までを生きる壮絶さ、過去へ行った自分自身は紘未と深く関わる事は出来ないのに、それでも紘未と彼女にまつわる大切なものを守ろうと奔走する里志の深い愛情に心打たれました。
そして2人にとって大切な場所となる馬車道ホテルの支配人・柿沼純子の存在も大きいです。里志が未来から来たという途方もない話を信じ、彼を最期まで支え続けた純子が、終盤で紘未に語った言葉に涙がにじみます。また、純子を愛していたであろう従弟の浩二はあの後どうなったのかと気になってしまいます。自業自得と言ってしまえばそれまでですが、里志が過去へ来た事で彼の運命も変わってしまったはずで、彼なりに必死だったのだろうと思うと切ないです。幸せを掴めているといいのですが。
過去から現在への繋がりが解った後で、序盤に馬車道ホテルのレストランで里志が紘未へプロポーズしたシーンを思い返すと、一体どんな想いだっただろうと胸を打たれました。
過去へ行って悲しい出来事を回避できたとしても、まだ未来には何があるか解らない。だから、前を向いて必死に生きるしかない。そんな風に生きる力をもらい、背中を押してもらえたような想いでした。

『フォー・ゲット・ミー・ノット』
1970年4月、小学6年の吉野てるみは、母の節子が運転する車で帰宅する途中、事故に遭う。男が突然、車の前に飛び出してきたのだ。急いで男を病院に運ぶが、男は記憶を失っていた。彼の持ち物を調べると、P・フレックという会社の社員証が見つかる。そこに記された名前は春山恵太。節子は春山に、記憶が戻るまでの間自分の家に住めという。しかし、春山は何も思い出せない。唯一頭に浮かんできたのは、「クロノス・スパイラル」という、意味不明の言葉だけだった……。
(公式サイトより)

こちらはクロノスシリーズの原作者である梶尾真治さんの許可を得て書き下ろされた、キャラメルボックスオリジナルのストーリーになります。
クロノス・スパイラルに乗って39年前に来たものの、事故に遭ってしまい過去に来た目的どころか、自分が何者かさえも解らなくなってしまった春山。一般常識や流行も周りの人とずれているなんてどれほど不安か想像もつきませんが、そんな中でも吉野一家に支えられ前向きに生きて行く春山の姿は元気づけられます。
事故に遭う前、吉野一家が経営する映画館でスタッフの事を聞いていたという彼は、一体何の為に過去へ来たのか。春山がクロノス・スパイラルに乗る事になった経緯が明らかになるにつれ、吉野一家が事故に遭わせた責任があるとはいえ何故ああまで親身になるのか、目には見えない温かな繋がりが浮かんできて、彼がここへ来るのは必然だったのだと感じます。
全体的にコミカルな雰囲気が漂う中で、てるみと節子の母娘関係や祖父母の想い、映画館で働く映像技師の敏郎とてるみの恋など、シリアスな展開もあり、その中で自分を助けてくれた吉野一家の為に、また自分自身の為に奔走し叫ぶ春山の想いに心揺さぶられました。
前述の『きみがいた時間~』の主要な人物もちらりと登場し物語を盛り上げます。記憶を取り戻した春山のその後の生きる道も、クロノスシリーズを知っていると感慨深いです。キャラメルボックスにおけるクロノスシリーズの集大成でありすべての始まりともいえるでしょうか。

東京での公演最終週を迎えています。
是非たくさんの方に観て頂きたい作品です。
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演劇集団キャラメルボックス2015ハーフタイムシアター『水平線の歩き方』&『君をおくる』 [観劇]

演劇集団キャラメルボックスのハーフタイムシアター2本立て『水平線の歩き方』『君をおくる』を観てきました。

『水平線の歩き方』
今回が再々演となる人気作です。
あらすじはこちらの記事を見て頂くとして。
初演も再演も生で観たので今回で3回目になりますが、やはり涙腺決壊しました。周囲の人達を信じる事に怯え独りで必死に生きてきた幸一、そんな幸一に寄り添おうとする人達、それぞれの叫びに心打たれ涙が止まりませんでした。
私が生まれて初めて観た生の舞台で、キャラメルボックスを好きになったきっかけの作品でもあり、ダンスシーンの曲が流れただけで涙が出るほど思い入れの強い大好きな作品です。

『君をおくる』
こちらは外部の劇団の方が脚本を書いた新作です。まだ初日が開けたばかりなので詳しい事は言えませんが、「えぇ!?」「何ナニ!?」って独り言が漏れそうになるのを必死で抑えてました。
すれ違いに次ぐすれ違いが、たくさんの笑いと様々な愛情を見せてくれる、魅力的な作品でした。

公演期間がとても短いので、是非日程を合わせてたくさんの方に観て頂きた作品です。
また、『水平線の歩き方』は「グリーティングシアター」と銘打ち、仙台や岐阜など5か所の地域を回ります。
号泣必至、温かい気持ちになれる名作ですので是非足を運んで頂きたいです。
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演劇集団キャラメルボックス30th vol.3『時をかける少女』 [観劇]

7月29日に演劇集団キャラメルボックスの公演、『時をかける少女』東京公演を観てきました。遅くなってしまいましたが感想をアップします。
(※若干のネタバレを含みます。)

尾道マナツは高校2年生の女の子。札幌で両親と暮らしている。
8月、目の病気にかかった伯母の世話をするために東京へ行く。伯母の家に着くと、幼馴染の竹原輝彦と再会する。伯母の芳山和子は、大学で薬学の研究をしていた。輝彦も和子の教え子として、同じ大学に通っていた。
翌日、マナツは伯母と共に大学へ行き、輝彦に学内を案内してもらうが、途中で迷子になってしまう。人影を追って実験室に入ると、フラスコが倒れ、中からラベンダーの香りがする煙が立ちのぼる。マナツはその煙を吸って意識を失う。
次の日、再び大学へ行くと、今度は地震が発生。マナツと輝彦に向かってエアコンの室外機が落ちてきた。ぶつかる、と思った瞬間、マナツは1分前に戻っていた……。
(パンフレットより)

この作品は筒井康隆さんによる同名の原作小説の世界から30年後の物語です。原作のヒロイン・芳山和子は現在40代。高校時代に同じくラベンダーの香りの煙を吸ってタイムリープを経験した和子は、当時の自分と同じ世代のマナツを見守る立場ですが、マナツもタイムリープを経験したと知った時、ある事情で忘れていた記憶を、当時の恋を思い出します。そして明らかになっていく30年前の恋の結末と、それにまつわる真実。この舞台の主人公は高校生のマナツですが、私が惹きつけられたのは原作のヒロイン、和子でした。当時和子が恋をした少年は、その恋が終わる時、また違う形できっと会えるという旨の事を告げ姿を消しています。そして現在、マナツの不思議な体験と同時に蘇る恋心、そして現在の和子を取り巻く人々。果たされていた約束とそこに込められた想い、真相を知った和子の涙と言葉に胸を打たれます。長い時をかけた互いの深い想いに感銘を受けました。

タイムリープシーンの表現や、タイムリープ能力とラベンダーの煙の謎を解くべく突っ走るマナツ、時にマナツを守り時に諌め共にかける輝彦、実験室にあったフラスコの中のものは誰が何の為に作ったのか、深まる謎と交錯する想い、舞台を包む疾走感に圧倒されました。

東京公演は終了してしまいましたが、20日から24日にかけて大阪で上演されます。ぜひたくさんの人に観て頂きたい作品です。

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演劇集団キャラメルボックス30th vol.2『カレッジ・オブ・ザ・ウインド』 [観劇]

昨日は演劇集団キャラメルボックスの公演『カレッジ・オブ・ザ・ウインド』を観てきました。(若干のネタバレを含みますのでご注意ください。)

8月、大学生の高梨ほしみは、家族6人でキャンプに出かける。それは、年に一度の家族の行事。ところが、キャンプ場に向かう途中で事故が起こり。家族全員を失ってしまう。ほしみだけは軽傷で済んだが、直ちに病院へ運ばれた。すると、亡くなったはずの家族もついてくる。その姿は、ほしみにしか見えない。なぜなら、彼らは幽霊だから。バラバラだった家族が、ほしみを見守ることで一つになる。しかし、いつかは別れなければならない。ほしみが家族と過ごす、最後の夏……。
(パンフレットより)

4度目の上演となる人気作ですが、私は今回が初見で何度も驚かされました。事前に公式サイトで上記のあらすじを読んだのですが、それとは全く雰囲気の異なる、サスペンスめいた冒頭のシーンに驚かされました。あのシーンがほしみ達家族の事故とどう繋がるのかとあっという間に惹き込まれました。
何故か警察に追われるほしみの叔父・鉄平。彼は何故追われているのか。そして彼の妻・あやめと、あやめの同僚の男性・菊川を取り巻く複雑な想いとすれ違いに胸が痛みます。
そしてほしみ達の事故を聞いてようやく病院へ駆けつけた鉄平が語った話と、鉄平を追ってほしみを訪ねてきた刑事達の話は大きく食い違っていて、何が本当なのか、鉄平は一体誰の為に奔走しているのかとますます目が離せなくなりました。
また、夏のキャンプが恒例行事になっているとはいえ、ほしみ達家族の心はバラバラで、それを悲しみどうにかしたいと行動するほしみの家族を愛する一途さと健気さに惹きつけられました。病室で、看護師や同室の患者、そばにいる家族の心配を吹き飛ばすように明るく振る舞うほしみの姿、そんな彼女を見てやっと心が一つになる家族の様子に、「家族」って何なのかと考えさせられます。そして、終盤で明らかになるある人の秘密に愕然となりました。家族をいっぺんに失ったばかりか、そんな衝撃的な事実を突き付けられてなお、家族を好きだと言えるほしみの強さとその想いの深さに心打たれました。
一番驚かされたのは鉄平の身に起きている事が明らかになった瞬間でした。(言われてみれば伏線はちゃんとあったのに全く気付かず。)その事実と鉄平の想いをあやめに伝えるほしみの叫び、そうしてようやく繋がった鉄平とあやめの心に胸が熱くなります。
交わらない想いを抱えたまま一つ屋根の下で暮らすのは辛いことです。家族って、人を好きでいることって、どういうことなんだろうと考えさせられました。ほしみの言葉を聞いていて、その一つは「信じること」なのだろうかと思いました。ただただ盲目的に信じるのは悲劇を生むけれど、きちんと目を合わせ会話をし、偽りない気持ちを伝えること、その気持ちを信じること、簡単なようでとても難しい、けれど側にいてそれが出来ないのは淋しいことだと思いました。

主人公・ほしみを演じた原田樹里さん、すごく素敵でした。ハマり役だと思います。
写真は終演後の「撮影OKタイム」に撮った「過去の名場面集」の内の一枚とカーテンコールの模様です。名場面集は今作『カレッジ・オブ・ザ・ウインド』のラストシーン。この後照明が落ちていってある物にスポットが当たるんですがそれがまたいいです。
30th名場面集『カレッジ・オブ・ザ・ウインド』
カレッジ・オブ・ザ・ウインドカーテンコール

公演は池袋サンシャイン劇場にて6/14まで。
是非たくさんの方に観て頂きたい作品です。

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演劇集団キャラメルボックス30th vol.1『パスファインダー』 [観劇]

続きまして『パスファインダー』です。
こちらは前述の原作小説を元にしたキャラメルボックスのオリジナルストーリーです。
(ネタバレを含みますのでご注意下さい。)

笠岡光春(かさおかみつはる)は23年前に亡くなった兄・秋路(しゅうじ)に会うため、クロノス・ジョウンターで過去へ飛ぶ。が、23年前に到着した瞬間、自転車で通りがかった少女と衝突。少女は頭を強く打ち、記憶を失ってしまう。が、「リン」という名前だけは覚えていた。光春は秋路とともに、リンの身元を調べることにするが……。
(公式サイトより)

憧れだった兄の本当の姿、突如現れたリン。序盤から怒涛の展開に惹きこまれます。『クロノス』の時代から数年が経ち、クロノス・ジョウンターの欠陥を補う装置が開発され(それでも現代に戻れないのは変わりませんが。)、光春は比較的自由に過去の世界で行動できます。憧れていた兄の本当の姿とその強い想いは、40代を目前にした光春の焦燥感との対比になっていて、充実している兄と現在の自分との差に揺れる光春により一層共感を抱きました。
そして突如現れたリン。生意気盛りな彼女の境遇が明らかになって行き、複雑な境遇に置かれた彼女の子供らしさと、彼女と行動を共にする光春の優しさとにジーンとしました。余談ですが昨年夏の『涙を数える』の南条を演じた方と同一人物というのに驚きです。幅広い役を演じられるって凄いです。
そしてリンとある人物との繋がりに驚きを隠せませんでした。あの時点で全て解っていたその人物が、何を想って事の行く末を見守っていたのか、そして自らもクロノス・ジョウンターに乗るという想いの深さに心打たれました。
そして何といっても強烈なインパクトを残したのが劇中に登場する○○さんの××××(重大なネタバレにつき伏字)です。思わぬファンサービスにテンション上がりました。

こちらも間もなく公演が終わってしまいます。
原作ファンの方にも楽しめるのではないかと思うので是非観て頂きたいです。
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演劇集団キャラメルボックス30th vol.1『クロノス』 [観劇]

演劇集団キャラメルボックスの30周年記念公演第一弾『クロノス』『パスファインダー』を観てきました。
まずは『クロノス』から。

物質を過去に飛ばす機械、クロノス・ジョウンター。吹原和彦(すいはらかずひこ)は研究員として、この機械の開発に携わっていた。ある日、会社の近くの交差点で、タンクローリー車が横転し、角の花屋に突っ込む。花屋の中には、吹原が中学時代から思いを寄せていた蕗来美子(ふきくみこ)がいた。事故が起きる直前に行って、彼女を助けよう! 吹原はクロノス・ジョウンターに乗り込み、自分自身を過去へと飛ばした……。
(公式サイトより)

この作品は梶尾真治さんの『クロノス・ジョウンターの伝説』という短編集を元に作られています。10年前に初演された作品で、ずっと再演を期待していました。

このクロノス・ジョウンター、ドラえもんなどに登場するような完璧なタイムマシンではありません。過去の世界に留まれるのは僅かな時間、しかも現代には戻って来られず、元いた時代より先の未来へ飛ばされてしまいます。
事故から彼女を救おうと過去へ飛んでは邪魔が入って失敗し、それでも諦めずに何度も過去へ飛ぶ吹原。過去へ行く度に体力を消耗し、更に飛ばされる未来は現代からどんどん遠くなるにも関わらず、彼女を助けられるまで飛び続ける姿に胸が詰まりました。昨年冬の『太陽の棘』を観た後でもあるので、残された家族や友人達の気持ちにも感情移入して、吹原と来美子はただの同級生、恋人でも何でもない吹原の片想いなのに、どうしてそこまで出来るのだろうと胸が痛くなります。(恭一と吹原では状況が全然違いますが。)吹原の同僚・藤川の「諦めは逃げじゃない、一時的な撤退だ」という趣旨の台詞が印象的でした。過去で邪魔が入る度にもどかしくなると同時に、誰も泣かせず来美子を救って、吹原自身も報われる、そんな道は本当に無かったのかなと思われてなりません。
真っ直ぐな吹原の想いと彼を見送り案じる周囲の人達の想いに心打たれました。

間もなく公演は終わりますが、是非たくさんの人に観て頂きたい作品です。

原作小説はこちらです。

クロノス・ジョウンターの伝説 (徳間文庫)

クロノス・ジョウンターの伝説 (徳間文庫)

  • 作者: 梶尾 真治
  • 出版社/メーカー: 徳間書店
  • 発売日: 2015/02/06
  • メディア: 文庫



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演劇集団キャラメルボックス アラカルト 『太陽の棘』 [観劇]

続きまして『太陽の棘』の感想です。

見知らぬ子供を助けて事故死した恭一。弟の亮二は恭一の恋人・明音を気遣いながらも、傷心の彼女にどうしたらいいか解らずにいた。そんな中、亮二は恭一の遺品の本から恭一宛の謎めいた手紙を見つける。亮二の従妹・はるかは悩む亮二を叱咤し、半ば強引に明音を誘って手紙の主「フウケイボウ大博士」を探すため岩手<イーハトーブ>へ向かう。
亮二は恭一の想いを理解し明音の心を救う事は出来るのか。

英雄視される恭一の死に、混乱する明音と亮二。傷心しきった明音はとても痛々しく、彼女の悲痛な言葉が突き刺さってきます。そして、自分も混乱の中にいながら何とか明音の心を救いたいと奔走する亮二の真っ直ぐな姿と叫びが、優しく時に激しく心に突き刺さってきて、涙が止まりませんでした。
恭一の遺品で亮二と明音が手にする宮沢賢治の童話『ペンネンノルデの伝記』は自分を犠牲にしてイーハトーブの人々を救った少年ペンネンノルデの物語。恋人を残してイーハトーブを救ったノルデと、子供を助けて死んでしまった恭一の姿は否応なしに重なり明音を苦しめます。宮沢賢治が好きだったという恭一の言葉や心は賢治をなぞっただけだったのではないか、彼の本当の心はどこにあったのかと悩み苦しむ明音の頑なに閉ざされた心と悲痛な叫びは、生々しい言葉となって吐き出され胸を突き刺します。「それは言うたらアカンやつや(涙)」と思う言葉も容赦なく飛び出し、明音の深い悲しみに涙が溢れます。
そして、そんな明音を救いたいと奔走する亮二の、彼自身が抱えた混乱やもどかしさ、そして恭一の明音への想いを伝えようと必死に叫ぶ姿。その嘘の無い真っ直ぐさに心打たれてまた涙が溢れました。

『太陽の棘』は昨日の千秋楽にも観に行きました。2回目を観て感じたのは、後半の恭一と亮二のやり取りやそれを受けてフウケイボウ大博士に充てた恭一の手紙をみて、恭一には自己犠牲なんて意識はなくて、子供を助けて自分もちゃんと明音の所へ戻って来るつもりだったんじゃないかという事です。自分は色んな人に生かしてもらって、今とても幸せだから、今度は自分が誰かの幸せの為に何かしなきゃいけない。そう語った恭一ですが、その誰かには明音や自分自身も含まれている事を彼はちゃんと解っていたのではないかと感じました。恭一は宮沢賢治に憧れ心の支えにしていましたが、賢治になろうとしていたわけではないんじゃないかと思います。
恭一の想いを知り、「私は大丈夫」と言った明音の強い言葉にもまた涙が溢れました。

この作品で初主演した鍜治本さん。真っ直ぐで嘘の無い言葉と必死に奔走する姿が胸に刺さってきてとっても心揺さぶられました。素敵です。本公演で主演を張る日もそう遠くないんじゃないかと感じました。
そして亡き人として大きな存在感を放つ恭一とその心を追う亮二、2人の関係は演者の多田さんと鍜治本さんの関係に似ているように思いました。

外部の脚本家の方に脚本を依頼するという実験的な試みで(前述した明音の容赦ない言葉は普段のキャラメルボックスなら出てこない言葉ですね)、東京のみでの公演、さらに8日だけという短いステージ、とてももったいないなと思います。
是非DVD化を、そして同じキャストでの再演を心待ちにしたいです。

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演劇集団キャラメルボックスクリスマスツアー『ブリザードミュージック』 [観劇]

先週、演劇集団キャラメルボックスのクリスマスツアー『ブリザードミュージック』と『太陽の棘』を観てきました。

まずは『ブリザードミュージック』の感想から。

「若人よ来たれ!君もクリスマスに芝居をやらないか!」
クリスマスの1週間前、新聞広告を見た5人の俳優たちが、池袋の劇場に集まってくる。しかし、彼らの前に現れたのは、演劇経験の全くない、90歳のおじいちゃん。元小学校教師の梅原清吉だった。彼は、70年前に書いて、上演できなかった脚本を、自らが主演して、上演したいと言う。スタッフは清吉の家族たちで、もちろんみんな演劇未経験。俳優たちは最初激しく反発するが、清吉の情熱に打たれ、次第に本気になっていく。
本番はクリスマス。はたしてたったの1週間で、芝居は完成するのだろうか?
(公式HPより)

「クリスマスはジジイが頑張る日。」という台詞があり、主人公は90歳の清吉なのですが、私の興味は集まった5人の俳優達の方に向かいました。
我が強く個性的な5人は初対面、最初はバラバラだった皆の気持ちが、「この舞台を成功させよう」と一つになっていく様に胸が熱くなります。何度も衝突しながら一つの舞台を作り上げていく、華やかな舞台上は楽しいだけじゃなく大変な事辛い事も多いけれど、情熱をかけられるものがあるって素敵な事だと感じさせてくれます。終盤の「金が欲しけりゃ役者なんてやってない!」という台詞に心打たれました。
清吉の脚本に総ダメ出しをし即興劇から台本を作り上げていく事になり、その内容は70年前の清吉に何があったのか、というもので当時清吉が書いた脚本を上演出来なかった理由や清吉の想いが明らかになっていきます。宮沢賢治を崇拝し彼の作品を広めたいという仲間達の想い、恋い慕う女性・ミハルへの秘めた想い、上演を中止せざるをえなかった事情、劇中劇で語られる当時の人々の様々な気持ちと、現在の清吉や俳優達の想いが交錯し、心を一つにしていく一同の姿にジーンとしました。

とはいえ少し疑問を感じたところもあります。
過去も現在も、清吉の想いはミハルへの告白の一点にしかなかったのかなという所が気になりました。宮沢賢治の作品を世に広めたい、そんな情熱から立ち上げた計画だったはず。上演出来ないとなった後も、清吉の気持ちは賢治よりミハルにあったように思えてならず、当時の他の仲間との温度差と、この作品そのものが宮沢賢治を題材にした必然性はどこにあったのかな、というのが気になっています。
私の読みが足りないのでしょうか……。

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演劇集団キャラメルボックスグリーティングツアー『無伴奏ソナタ』 [観劇]

演劇集団キャラメルボックスの公演『無伴奏ソナタ』東京公演初日を観てきました。

すべての人間の職業が、幼児期のテストで決定される時代。
クリスチャン・ハロルドセンは生後6か月のテストでリズムと音感に優れた才能を示し、2歳のテストで音楽の神童と認定された。そして、両親と別れて、森の中の一軒家に移り住む。そこで自分の音楽を作り、演奏すること。それが彼に与えられた仕事だった。彼は「メイカー」となったのだ。メイカーは規制の音楽を聞くことも、他人と接することも、禁じられていた。
ところが、彼が30歳になったある日、見知らぬ男が森の中から現れた。
男はクリスチャンにレコーダーを差し出して、言った。
「これを聴いてくれ。バッハの音楽だ……」
(公式サイトより)

2年前の初演を観られなかったので、今回の再演はとても嬉しかったです。
メイカーのみならず全ての人々が法で人生を決められる時代に、何度凄惨な罰を受けても音楽を作ることをやめられなかったクリスチャンの生き様に惹きつけられました。彼を監視し罰を与える「ウォッチャー」に「いけないとわかっていても止められなかった」といった旨の事を告げるクリスチャンの表情に、彼は生まれついての音楽の天才というだけじゃなく、音楽を楽しみたい愛したいという強い想いを感じました。
そして、一番心打たれたのは終盤、ずっとクリスチャンを監視し続けてきたウォッチャーのある告白でした。ネタバレになるので詳細は伏せますが、どんな想いでクリスチャンから音楽を奪ってきたのか、またそれを受けて最後の罰を受け入れたクリスチャンの気持ちも、想像すると胸が痛みます。2人の関係性は、「ウォッチャー」と「監視される元メイカー」というだけでなくもっと深い繋がりを感じました。
メイカー時代、クリスチャンの世界は無音だったのではないかと思います。静かな森の家で、彼を煩わせるものは何もなく自由に音楽を作り演奏する事が出来ました。「クリスチャンの音楽は世界中で愛され演奏されている」という事実だけが彼のもとに届いています。聴衆の生の反応が無い、それは無音に等しい事だと思います。創作をする上でそれは何より辛い事です。物心ついた時からそれが当たり前だった彼は、そんな状況を幸せだと思っています。けれど森の家を追われ音楽を禁じられ、自分の音楽を愛している人々を実際に目にし、誰かの為に演奏し歌う事、仲間の為に音楽を作る事、今まで封じられていたそういう喜びを感じて、音楽に触れずにいる事なんて出来るわけがありません。その度に凄惨な罰を受け多くのものを失った彼ですが、最後の罰から解放されて、老齢のクリスチャンはこれまで関わった人々に会いに行った先で、メイカーではなくなった自分が作った音楽を、見ず知らずの若者達が歌っているのを耳にします。そしてラストシーンで彼の耳に響く喝采に、これまでの凄惨な人生を思い返しようやく訪れた救済に涙が溢れました。
厳格な法律とそれによって守られているという人々の幸せ。幸せって何かと考えさせれらます。

公演期間は短いですが、ぜひたくさんの方に観て頂きたい作品です。
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演劇集団キャラメルボックス2014サマーツアー『TRUTH』 [観劇]

前記事から続きまして、お次は『TRUTH』です。

慶応4年(1868年)1月、上田藩士・野村弦次郎は、京から2年ぶりに江戸の藩邸へ帰ってきた。同じ道場に通う仲間たちに、鳥羽伏見の戦いを報告する。そして、もはや幕府の命運は尽きた、我が上田藩も倒幕のために立ち上がるべきだと訴える。ある日、弦次郎と仲間たちは、五味隼助が改造した銃の試し撃ちをするため、浜辺に行く。ところが、その銃が弾詰まりを起こし、弦次郎の耳元で暴発してしまう。聴力を失った弦次郎に、帰国の命が下される。しかし、弦次郎にはやらなければならない仕事が残っていた……。
(パンフレット「TALK&PHOTOBOOK」より)

「キャラメルボックス初の悲劇」と銘打たれた人気作品です。
(私は初見で、’05年版のDVDを買ったすぐ後に今年上演される事がわかったので真っさらな状態で観ようと封印していました。)

物語は鏡吾が道場の仲間であるはずの弦次郎を「裏切り者」として他の仲間と共に追っている所から始まります。
タイトルの「TRUTH」、作中でその意味を弦次郎に問われた師範の帆平は「真実、あるいは真の心」(台詞は一字一句同じではありません)と告げます。道場の面々はそれぞれにその言葉を胸に刻んで生きているのですが、残酷な真実を抱えて生きる鏡吾にとって、国の事を考え熱く生きる仲間達の姿はどう映っていたのでしょう。弦次郎が聴力を失った事を利用し彼を策に嵌め仲間の英之助を斬らせ、弦次郎を裏切り者として追う鏡吾。前半、仲間達と和気あいあいと過ごしている様子の彼は、一体いつから裏切りを考えていたのか。道場で仲間達と過ごした日々は彼にとって何だったのか。想いを巡らせるときりがありません。
9年前に「明一郎以外に友はいらない」と言い切った鏡吾ですが、終盤で「(仲間達から)身分など気にするなと言われる度に自分の身分の低さを思い知らされた、お前達は本当は俺を嘲っていたのだろう」といった旨の悲痛な叫びを上げます。彼は、本当は身分も過去も関係なく分かち合える仲間を求めていたのではないでしょうか。そしてその道を絶ってしまったのは鏡吾自身なのだと思います。明一郎が9年後の彼を見たら間違いなく悲しむでしょう。「俺には"TRUTH”など最初から無かった!」と叫んだ鏡吾が抱えている過去を想い胸が痛みます。真っ直ぐさの見えた『涙を~』のラストから現在の鏡吾の姿に、9年という時と彼の抱えた真実の重さを感じて涙が溢れました。
一方で、聴力を失った上に信じていた仲間に騙され友人を斬り殺してしまった弦次郎は、それでも鏡吾に「生きろ」と告げます。鏡吾にしてみればいっそ自分を恨み殺してくれた方が楽だったかもしれません。けど弦次郎はそれを許さず、「自分も罪を抱えて生きる」と言い切ります。
―お前は許してくれるか。俺がお前にした事を―
公演チラシのキャッチフレーズですが、これは鏡吾から弦次郎に向けた言葉でしょうか。弦次郎は鏡吾を許したからこそ、「生きろ」と告げたのだと思います。裏切られた衝撃とそれによって負わされた罪、そして鏡吾の本心を知ってそれでも尚、そう言える弦次郎の強さや優しさと、自分も全てを背負って生きるという彼の決意に胸を打たれました。
8/22追記
チラシのコピーは弦次郎から英之助に向けた言葉、と見る方がしっくりきますね。英之助の言葉は弦次郎に届いたのでしょう。そして英之助は弦次郎を嵌めた鏡吾の事も許すんだろうと感じました。
避けられなかった悲劇をそれでも乗り越え、生きろという言葉に胸が熱くなりました。

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