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演劇集団キャラメルボックス2014サマーツアー『TRUTH』 [観劇]

前記事から続きまして、お次は『TRUTH』です。

慶応4年(1868年)1月、上田藩士・野村弦次郎は、京から2年ぶりに江戸の藩邸へ帰ってきた。同じ道場に通う仲間たちに、鳥羽伏見の戦いを報告する。そして、もはや幕府の命運は尽きた、我が上田藩も倒幕のために立ち上がるべきだと訴える。ある日、弦次郎と仲間たちは、五味隼助が改造した銃の試し撃ちをするため、浜辺に行く。ところが、その銃が弾詰まりを起こし、弦次郎の耳元で暴発してしまう。聴力を失った弦次郎に、帰国の命が下される。しかし、弦次郎にはやらなければならない仕事が残っていた……。
(パンフレット「TALK&PHOTOBOOK」より)

「キャラメルボックス初の悲劇」と銘打たれた人気作品です。
(私は初見で、’05年版のDVDを買ったすぐ後に今年上演される事がわかったので真っさらな状態で観ようと封印していました。)

物語は鏡吾が道場の仲間であるはずの弦次郎を「裏切り者」として他の仲間と共に追っている所から始まります。
タイトルの「TRUTH」、作中でその意味を弦次郎に問われた師範の帆平は「真実、あるいは真の心」(台詞は一字一句同じではありません)と告げます。道場の面々はそれぞれにその言葉を胸に刻んで生きているのですが、残酷な真実を抱えて生きる鏡吾にとって、国の事を考え熱く生きる仲間達の姿はどう映っていたのでしょう。弦次郎が聴力を失った事を利用し彼を策に嵌め仲間の英之助を斬らせ、弦次郎を裏切り者として追う鏡吾。前半、仲間達と和気あいあいと過ごしている様子の彼は、一体いつから裏切りを考えていたのか。道場で仲間達と過ごした日々は彼にとって何だったのか。想いを巡らせるときりがありません。
9年前に「明一郎以外に友はいらない」と言い切った鏡吾ですが、終盤で「(仲間達から)身分など気にするなと言われる度に自分の身分の低さを思い知らされた、お前達は本当は俺を嘲っていたのだろう」といった旨の悲痛な叫びを上げます。彼は、本当は身分も過去も関係なく分かち合える仲間を求めていたのではないでしょうか。そしてその道を絶ってしまったのは鏡吾自身なのだと思います。明一郎が9年後の彼を見たら間違いなく悲しむでしょう。「俺には"TRUTH”など最初から無かった!」と叫んだ鏡吾が抱えている過去を想い胸が痛みます。真っ直ぐさの見えた『涙を~』のラストから現在の鏡吾の姿に、9年という時と彼の抱えた真実の重さを感じて涙が溢れました。
一方で、聴力を失った上に信じていた仲間に騙され友人を斬り殺してしまった弦次郎は、それでも鏡吾に「生きろ」と告げます。鏡吾にしてみればいっそ自分を恨み殺してくれた方が楽だったかもしれません。けど弦次郎はそれを許さず、「自分も罪を抱えて生きる」と言い切ります。
―お前は許してくれるか。俺がお前にした事を―
公演チラシのキャッチフレーズですが、これは鏡吾から弦次郎に向けた言葉でしょうか。弦次郎は鏡吾を許したからこそ、「生きろ」と告げたのだと思います。裏切られた衝撃とそれによって負わされた罪、そして鏡吾の本心を知ってそれでも尚、そう言える弦次郎の強さや優しさと、自分も全てを背負って生きるという彼の決意に胸を打たれました。
8/22追記
チラシのコピーは弦次郎から英之助に向けた言葉、と見る方がしっくりきますね。英之助の言葉は弦次郎に届いたのでしょう。そして英之助は弦次郎を嵌めた鏡吾の事も許すんだろうと感じました。
避けられなかった悲劇をそれでも乗り越え、生きろという言葉に胸が熱くなりました。

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